 |
|
1947年アメリカ・カリフォルニア生まれ。
ジェームズ・タルマージはクレヨンを握れるようになる頃より、画家になりたいと思っていた。
14歳の時、展覧会で一等賞をとった。ほどなくして、ロサンゼルスの芸術学校デザイン学科入学のための奨学金を得た。
20代の頃、ソニーやマックスファクター、JBL、ABCのためにデザインを描き、セサミストリートなどでアニメーションを描き腕を磨いた。そして30代半ばで自身のアートに集中する事を決意した。
ジェームズ タルマージは1961年以来、米国内や極東で100を越える展示会を開催した。彼の作品は東京国立近代美術館、大阪国立国際美術館、ジャマイカ現代美術館に収蔵されている。また、ソニーやマックスファクター、アトランティックレコード、ロサンゼルスタイムズなど多くの企業が所有している。
|
 |
|
1968年、埼玉県生まれ。豊富な天文知識と卓越したアートセンスで、宇宙と神話の世界を描くアーティスト。<BR>絵画制作をコンピューター上で行う「デジタルペインティング」の世界的先駆者。
ハイパーリアリズムと透明感あふれる独特の色彩感覚は国内外で高い評価と注目を集めている。
|
 |
|
ペテルスブルグに生まれる。本名はロマン・ド・ティルトク。18歳の時、パリへ渡りポール・ポワレに認められ、デザイン画やファッションデザインを学び、アール・デコ様式の代表的作家となる。
アメリカで、ファッション及びハリウッドMGMでの映画セットの製作で活躍するが、第二次世界大戦で一時中断する。76歳の時、最初の石版画やシルクスクリーンを発表する。
|
 |
|
1948年 アメリカ、カリフォルニア生まれ。
母親をモデルとして、女性の絵画を描き始め、以後、女性を描きつづける。その後、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアートを卒業し、雑誌広告用のイラストを描くようになる。1987年にはロサンゼルスで初の個展を開き成功をおさめる。<BR>
彼女の技術は「工場で作られたように精巧だ」と言われ、その妙技で多くのファンを魅了している。又、古典的ピンアップを再定義し、男性と同様に女性も関係がありうるイメージを作成することにより、彼女の絵画は肉感的なエネルギーを喚起し、見る人を引きつけてやまない。</FONT></DIV>
|
 |
|
1965年 アメリカ、ソルトレークシティー生まれ。
独学で絵画を覚えつつやがて、水彩画の世界に没頭していくこととなる。多くの個展を成功させ、国歌的にも高い評価を受けるようになる。来日回数も多く、日本での個展も成功をおさめている。
|
 |
|
1954年 アメリカ、アリゾナ州生まれ。
美術教師である父親から絵を学び、やがて父親と同じく美術教師となる。美術教師を11年間勤めた後、画家として絵を描くことだけに専念するようになる。彼は惑星そして地球にいつも関心を持っています。ですから、作品の多くには惑星や地球の美しい自然・動物達が描かれています。そうした幻想的で美しいファンタジーの世界を繰り広げながらも、環境汚染に対しての意識を伝えようとしています。1990年以降、日本での個展も増え、自然環境保護や動物への愛情あふれる創作テーマで多くのファンを魅了し続けています。
|
 |
|
1941年 アメリカ、カンザス州生まれ。
アメリカで活躍し、大変人気のあるアーチストの一人に数えられる。
1973年以降、アメリカ、ヨーロッパ各地で多数展覧会を開くほか、「オーストリアン・ガーデン」が、メトロポリタン美術館の永久保存作品の1点に加えられる。嫌みのない軽いタッチに人気のある現代感覚の作家です。
|
 |
|
1948年シカゴ郊外に生まれる。
幼少時代から色彩に戯れ、収穫された果物など身近なものを描き、才能のきらめきは早くから現れていた。カリフォルニア州の短期大学では絵画技術、色合い、また自分自身の内情に沸き上がる情景、情熱を表現する方法を模索した。そして彼の作品は着実にコレクターの目にとまり、熱烈なファンを獲得、全米での作品発表、さらに日本への進出と創作活動の場を拡大し、知名度は飛躍的に高まっていった。
|
 |
|
1946年10月27日、パリに生まれる。
幼い頃より、絵を描くことが好きで、建築家であった父が時々、デッサン用の大きな紙や絵筆を彼女に与えた事も、彼女を絵画の世界へと導く大きな要因となる。
高校の頃から絵とデッサンに没頭するようになり、'62年から本格的に学び始め、'64年にパリ国立美術学校に入学。'67年にオーストリアで初めての個展を開く。造形美術国家免状を取得した後、'71年にはパリ市から贈られたカーサ・ベラスケス賞により、スペイン、マドリードで奨学生として一年間滞在、異国で美術の腕を磨く。'86年には1881年からの歴史を誇るフランス芸術家協会のサロンで最も偉大な栄誉賞を受賞。協会の会員および審査員も務める。'01年にはフランス文化功労ヴェルメイユ勲章が贈られた。これはフランスの名声に貢献し得る活動をした人を奨励、褒章するもので、卓越した人格者に授与されるものである。その他にも様々な賞を受賞し続け、'03年には名誉ある、フランス国防省海軍公認画家に選出された。1830年創立以来、女性としては二人目という選出は、これまで重ねてきた彼女の実力の極みであるといえる。
|
 |
|
1962年4月11日生まれ。
8歳の頃から鉛筆画を始め、興味のあるものを模写して楽しんでいた。ホノルルコミュニティカレッジ及びアラスカ州立大学で美術を専攻し、特にシルクスクリーン印刷術と東洋美術(墨絵)を学んだ。<BR>画家として活動し始めた当時は、アクリル絵の具を使用したスプレー画を描いていたが、後に自分の思いやインスピレーションを表現するには、より自由に色を混ぜることができる水彩と油彩のミックス手法が最適であると考え、この手法を扱うようになる。「ハワイの海の生き物たちと水の中で共に過ごす時間程、私に喜びを与えてくれるものはありません。」と、海をこよなく愛するキモは語る。サーフィンやダイビングが趣味だという彼は、水の中での幸福な時間を表現し、人々と分かち合いたいと思い、マリンアートを描き始めた。明るく色彩豊かな彼の作品には、躍動感があり、自然の美しさだけではなく、イルカやクジラ等の個々の性格の違いが見分けられる程、生き生きと海の生き物達が表現されている。キモの作品には、人々にこの自然からの偉大なる贈り物に気付いて欲しいというメッセージが込められているのである。
|
 |
|
1933年、パリ生まれ。
1950年美術学校エコール・デ・バザールで学ぶ、舞台デザインを手がけるために一時休学、パントマイムで有名なマルセル・マルソーと仕事をする。同校へ復学後に卒業。1966年 ドイツで美術教師として絵を教えながら、余暇の時間を費やして自作を追求し続ける「パリの街角」を描き始める。1973年、スイス大衆芸術家賞を受賞、続く'74年、渡米。アメリカでの作品展により名声を得る。1976年、コートダジュール大賞受賞。1980年、アメリカの招待を受け、再渡米、教職を辞し絵を描くことに専念する。1985年
ハーバード大学設立350周年記念のため作品を依頼される。 1996年アトランタ・オリンピック公認アーティスト、アートエキスポニューヨークの公式画家に選出される。オリンピック100周年記念の公式作品を手がける。1998年、フランスワールドカップサッカー公認アーティストに選ばれる。アメリカ各地、ヨーロッパ各地で個展を300回以上開催。彼の作品は、パリのナイーブ美術館その他有名美術館に収蔵。パリ文化省のコレクション他多く有名私的コレクションに収集され続けている。
|
 |
|
1941年 カンザス州ローレンス市に生まれ。
コネチカット州ミドルタウンのウェズリアン大学卒業後、コロンビア大学で美術史を学び、「タイム」誌にて勤務することとなる。その後、画業に専念。毎年、数ヶ月を旅行に費やすほかは、マンハッタンのアパートとロングアイランド州ウォーターミルの別荘を仕事場としている。
1981年には、復活祭用卵をデザインし、ホワイトハウスで開催される展覧会への出展アーティスト30人に選ばれる。また、1988年には、彼の作品である「オーストリアン・ガーデン」が、メトロポリタン美術館の永久保存作品となる。
アメリカを中心として世界中で評価が高まる中、日本における評価も同時に高まってくる。
1996年には神戸市復興のためのチャリティーポスターを制作し、売上金の一部を神戸市に寄贈するなど社会にも大きく貢献している。1996年からは、3年続けて、クリントン大統領夫妻が出す、オフィシャルクリスマスカードの制作を依頼されるなど、その評価はとどまるところを知らない。
|
 |
|
1860年、チェコスロバキア生まれ。
ミューシャは、フランス・アール・ヌーボー美学の形成に決定的役割を演じた人物と評価され、自然界にあるものを巧に抽象化・様式化して曲線と直線が織りなす装飾的フォルムを作り出した。ヴィクトリア朝的女性の理想を表現する芸術は、19世紀末のヨーロッパでは革命的であり、エレガントで流麗なデザインは、世紀末に花開いたアールヌーヴォーの饗宴の中で、「ミュシャ様式」というスタイルを確立した。1903年に渡米,10年プラハへ帰り、スラヴの叙事詩などをテーマに活躍した。プラハにて歿す。
|
 |
|
10歳の時にハワイ・マウイ島へ家族で移住。
1976年より作品を発表。1983年、国連<クリーンオーシャンキャンペーン>のイメージアート<サンクチュアリ>を制作。1989年、ホノルルマラソン公式アーティストに選定される。
1990年、環境保護団体<シービジョン財団>設立。1992年、<サンクチュアリ>が国連記念切手となる。1996年、映画<フリッパー>の公式ポスター制作。1998年、<国際海洋年1998>の公式ポスターを制作するとともにN.G.O.組織<F.U.N.>の親善大使に任命される。現在はミュージックシーンなど、諸分野での活躍も注目されている。
|
 |
|
1948年、滋賀県米原町に生まれる。
7歳の頃から絵を描き始め、放課後に美術の特別授業を受けた。学生時代は、公募で多数の受賞を果たす。米原高校卒業後、広告会社に勤務。その後、日本画家・稲村睦親氏に師事し、日本画を学びつつアンリールソーの素材画に魅かれ上京。1972年、パリ国立美術学校に留学。パリで絵を描いて生活するようになる。「サロン・ド・ボザール」「サロン・ドートンヌ」に出品、その名を知られる。1978年、ロサンゼルスに移住する。版画的技法のシルクスクリーンを用いた絵画で一躍名を馳せる。以降、アメリカ各地で個展を開くようになる。彼の作品の多くは、シルクスクリーンによる鮮烈な色彩が非常に印象的である一方で、作品中の細部の人物の顔など真近で見ないとわからないところまで緻密に描写され、繊細である。その明るい豊かな色彩は、高評価を得、アメリカ政府などの依頼を受けロサンゼルスでは名誉市民に選ばれる。1983年、エア・ショーが、レーガン大統領が名誉会長であった人類飛行200周年記念財団の公式ポスターに選ばれる。
1984年、ロサンゼルス市観光誘致キャンペーン公式ポスター制作を依頼される。同年、ロードアイランド州が、9月21日を「ヒロ・ヤマガタの日」に定め、同州のワーウイック市より名誉市民の称号が贈られる。その後、アメリカにとどまらず、ヨーロッパや日本においても、個展を開く傍ら、ロサンゼルスやカルガリー、バルセロナなどのオリンピックの公式ポスターの制作依頼や、各国政府などからもポスターなどの作成依頼を受ける。
1997年レーザー光線による作品を発表する。
2003年『ART&SPACE宇宙芸術展−ヒロヤマガタとNASAの世界』を行う。(横浜国際客船ターミナル大桟橋ホールにて)この作品はホログラムを巡らした巨大なオブジェ構造物と、レーザーを大量に照射、反射させる室内展示であった
|
 |
|
1966年、イギリスに生まれる。
以後、家族と共にアメリカ、カリフォルニア州北部へ移住。幼少の頃は、周囲に広がる美しい谷、湖、河などを探検し、その恵まれた自然環境に感化され、5歳で絵を描き始めるようになる。その後、マックスフィールド・パリッシュ、モネなど多彩なアーティストから影響を受け、絵を描くことへの強い欲求と信念のもと、美術の道へ進み、現在に至る。
|
|
 |
|
アーティスト
|
| J.タルマージ |
| KAGAYA |
| エルテ |
| オリビア |
| クリントスローン |
| シム・シメール |
| ジョウ・ナイトウ |
| ミッシェル・バテュ |
| ミッシェル・ドラクロワ |
| キモ |
| デイル・ターブッシュ |
| トーマス・マックナイト |
| アルフォンス・ミュシャ |
| クリスチャン・リース・ラッセン |
| ヒロ・ヤマガタ |
|